今回は、ハートランドとシーランドの歴史について説明します。
航海時代
ハートランドとシーランドという2つ勢力にはっきりと分れたのは航海時代です。
当時、欧州でオスマン帝国の力が強大でした。
しかし、オスマン帝国を経由しなければインドや東南アジアや中華で貿易は出来ません。
そこで、スペインやポルトガルは、海でインド方面を目指しました。
ここで、オスマン帝国はハートランドへ、スペインやポルトガルはシーランドへと変化しました。
しかし、オスマン帝国は海の重要性に気づかずスペインやポルトガルとは対立しませんでした。
今後、欧州は海を使いアジア貿易で力を貯めました。
変化する2つの国家
そして、時代と共にハートランドとシーランドは変化していきました。
ポルトガルとスペインは、アジア貿易で潤沢になりました。
しかし、その立場を欧州諸国達が狙いました。
ポルトガルのアジアに持ってる中継地をオランダ東インド会社が奪い取りました。
そして、スペインの無敵艦隊を破りオランダにも優位に立ち7つの海を跨り5つの大陸全てに植民地を持つ帝国が現れました。
その、帝国は200年間海上の優位性を保ち続けました。
話を変え、オスマン帝国は欧州とアジア中継地として儲けていましたが欧州諸国達は海を使い始めオスマン帝国の重要性が落ちました。
時代に連れ、オスマン帝国は近現代化に失敗し徐々にしかし確実に弱体化しました。
ハートランドとしてのオスマン帝国の立場を狙う帝国が現れました。
その帝国は、バクー油田やウクライナの肥沃な農耕地帯、鉱石が埋まってるシベリア、海上資源が豊富なオホーツク海を持ちモンゴル帝国とほぼ同じ領土を持ちアジアから欧州にかけユーラシアにまたがる大帝国です。
対立する2つの帝国
前述した帝国が大英帝国、後述した帝国が大露帝国
この2ヶ国はお互いの影響圏が重なるようになり対立するようになりました。
ロシアは重要な海峡や運河などを狙いました。
もし、ロシアに奪われるとイギリスのロイヤルネイビーが欧州から出れず物資をイギリス本土に持ってこれず没落します。
イギリスは、ロシアを海洋に出させないようにしました。
もし、ロシアが海洋に出れるとロシア海軍を包囲出来ません。
激動の2つ国家
この200年で変化が起きました。
まず、シーランドのイギリスはアメリカに席を譲りました。
ロシアは、政権が2度変わり民主主義になりました。
そして、今日に至るまで対立続いてます。
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