地政学

八月に輝く2つの光

地政学


今回は、1945年の原爆投下について説明します。


詳細

1945年八月六日、広島上空に米国の新型爆弾を投下しました。

その爆弾は、核分裂を利用し莫大なエネルギーを放出する兵器です。

この兵器は、怒号が鳴り響きながらキノコ雲を発生しました。

その地域は、灼熱に晒され川や湖が蒸発し人々の肌が爛れました。

また、酸性の雨が降ったり染色体を傷つける放射線が多く残り今後数十年間困らせれました。

そんな兵器を、この3日後の1945年の八月九日に長崎に2度目を投下されました。

これが、日本が第2次世界大戦で受けた原爆についてです。


米国の思惑

米国は2度の原爆投下で何を得たかったでしょう?

よく言われることして、日本との早期講和です。

この時、米国は日本と4年間戦い続け国民は疲労していました。

そのため、原爆投下で早期講和を図ったのです。

しかし、日本は原爆投下というよりソ連の対日戦の参加によって日本は無条件降伏を受託していたはずです。

米国は、知っていたはずです。

次に、共産勢力に力を見せるためだと言われています。

この時、表向き英米蘇の3国が足踏みを揃えているように見えますが裏では互いに疑心暗鬼になっていました。

また、この大戦が終わるとソ連の勢力圏が増えるため威嚇として投下されました。

しかし、ならその辺の島々で十分だった筈です。

わざわざ国際法を破ってまで大量の民間人に被害が与える程の価値はあったのでしょうか?

実際は、実戦による実験といったがほうがしっくりきます。

オークリッジから原子力爆弾が産声をあげました。

しかし、対人向けの実験をしていません。

米国内でその様な事はできません。

欧州の大戦は全て終わり欧州では実験できませんでした。

しかし、極東であれば可能です。

米国は、日本との戦争を継続中でした。

また、米国内では未だ人種差別が残っていた為日本による原爆投下は多く国民が受け入れました。

そして、2度投下されたのです。


皮肉

この兵器は、多くの民間人の死者数が出ました。

しかし、皮肉な事に現在は核による抑止力によって大国同士の争いが無くなりました。

そして、核の膨大なエネルギーによって資源問題を打開しようとしています。

日本は、米国から核攻撃を受けた被害者にも関わらず今でも核問題を反省をしています。

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